2011年8月13日土曜日

闘病記

3月の手術を受けた後、詳しい状況をお伝えできず、ご心配をおかけしている方も多いので、近況報告を書きたいと思います。

まず、3月の手術の内容ですが、再発大腸ガン(腹膜播種)の外科的手術でした。

腹膜播種(ふくまくはしゅ)というのは、ガン細胞が腹膜という「おなかのまく」の中にまるで種をまくように、散らばってしまっている状態です。微少なガン細胞が拡散しているので、外科的な処置、つまり手術によって取り除くというのは、非常に難しいとされています。

最初にガンの手術をしたのは2006年の12月。ガン細胞が腸管の外にわずかに顔を出しているだけで、リンパ節への転移もなし。再発なんてしないだろう。勝手にそう思い込んでいました。それだけに、この再発はショックでした。

通常であれば、抗ガン剤による化学療法を選択し、その生存平均期間は14ヶ月。統計方法や、病院によって期間が少し違うものもありましたが、だいたい腹膜播種になれば1年~2年の余命というのが相場だと、わかりました。

2010年の10月にこの診断が出た時に、主治医が勧めてきたのは、この化学療法でした。標準治療と呼ばれ、外科医の立場からすれば、お決まりの敗戦処理のピッチャーをマウンドに送るような、そんな治療だと感じました。

しかも、この標準治療をやったところで、わずか数ヶ月の延命効果しかありません。それはデータとして出ているし、副作用でQOL(Quolity Of Life)を下げてまでやる必要はないと考えていました。

有効な治療法なし。もう、半分死んだ気でいました。

診断が出てからは真剣に様々な治療方法を検討しました。重粒子線治療、免疫療法、減量化学療法、温熱療法、先端医療から民間療法まで検討しましたが、どれも決定打に欠ける…。

そんな中、たまたま見つけたのが、現在の主治医である米村医師です。腹膜播種のエキスパートで、国内でも数少ない、腹膜播種の外科手術を行える医師。

拠点のひとつが大阪の岸和田にある病院ということで、東京から西宮への引っ越しを決めていた自分には、好都合でした。

後から知ったことですが、米村医師の手術を受けにヨーロッパやアメリカから患者さんが訪れることも珍しくないそうです。ビートたけしのテレビ番組でも特集されたことがあるようです。

ただ腹膜を手術により摘出するということは、他の医者からすれば、かなり過激でリスキーな方法らしく、最初の主治医や、セカンドオピニオンを受けた医者からは「この手術はやめた方がいい」というアドバイスをいただきました。

いろいろ検討した結果、どうせ長くもたないことが分かっているのだから、リスクを負っても米村医師の手術をしたい。そう思いました。こうして、治療方針を決定しました。

米村医師にはじめて会ったとき、やはり膨大な数の腹膜播種患者をみてきて、さらに手術も数多くこなしているからか、信頼できる先生だと確信できました。

2010年の年末から、手術に備えて抗ガン剤治療を開始しました。FOLFOX呼ばれる、大腸ガンには定番の化学療法で、シスプラチン、5ーFU、レボホリナートといった抗ガン剤を組み合わせて投与します。

岸和田の病院で3時間~4時間ほどベッドで投与し、残りの48時間はペットボトルみたいな容器を首からぶら下げて、自宅で投与します。

これらの薬は大きなガン細胞を小さくし、小さいガン細胞
を消していきます。それと同時に、通常の細胞にもダメージを与えるため、吐き気や手足のしびれ、味覚障害といった副作用がでてきます。

この時、私の腹膜内ではガン細胞がどんどん増殖し、最初に見つかった精嚢という臓器周辺から、膀胱、直腸に浸潤(転移)していました。これらは、腹膜の最下部に位置しています。

これらの臓器をまとめて摘出するということは、その後、とても不便な生活を強いられることになります。ストーマと呼ばれる穴を、腹筋のあたりに開けて、排便、排尿をそこから行います。

しかし、背に腹は替えられない…。こうして、3月の手術を、迎えることになりました。

米村先生の腹膜播種治療では、手術前の化学療法と、手術後の化学療法に加えて、手術中にも抗ガン剤を用いて治療を行います。温めた抗ガン剤を、開腹した状態の腹膜に流し込む、温熱化学療法という手法。これにより、再発率が下がるというデータがあるそうです。

腹膜内に点在するガンを切り取り、さらに上記のような特殊な治療もおこなうため、手術には時間がかかります。予定では5時間の手術でしたが、実際には9時間の時間を要しました。

横隔膜(腹膜の上部にあたる)にも転移していて、かなり広範囲に広がっていたのが、時間がかかった要因ではないかと思います。手術が終わるまで、妻も母も気が気ではなかったと言っていました。横隔膜などはあまり大きく切り取ると、手術後の経過が悪くなるそうで、ギリギリのところだったそうです。

手術の後は、10本以上の管につながれて苦痛の中で、ただただ時間が過ぎるのを待つしかありません。どちらに寝返りをうっても、管がわき腹や背中に食い込んで痛み、仰向けになると腰が痛み、もちろん開腹した傷にも痛みがあります。まともに睡眠もとれませんん。

手術後2日目は集中治療室のとなりのベッドの患者さんが亡くなったのですが、どうやら同じ手術を受けたようでした。あまり高齢の方には、負担の大きい手術だと思います。

絶食、絶水の期間も長く、10日くらいで、ようやくお粥など食べ始めました。60キロあった体重は40キロ近くまで落ちて、歩くことすらままならない。そんな状態でした。

1ヶ月の入院で、楽しみといえば、テレビだったのですが悲しいことに東日本大震災が起き、震災報道一色になってしまいました。最初はニュースを観ていましたが、だんだん精神衛生上よくないんじゃないかと感じて、テレビはあまり観ず、小説を読んでいました。

入院中は、ストーマ管理のやり方を看護士さんに教えてもらいました。腹部に開けた穴には袋をつけ、便をためていきます。その袋の交換にはコツがあって、慣れるまでは何度も漏れるわけです。

ご飯も食べれるようになって、2011年4月の初旬に退院しました。約一ヶ月の入院で、足も弱っていて、最初は散歩しても100メートルほどで、疲れて座り込むような状態でした。

今現在は、日常生活に問題が無い程度、体力は回復しています。体力が回復すると同時に、術後化学療法に入りました。画像検査では見えない微細なガン細胞をたたき、再発を防ぐ目的の抗ガン剤治療のことです。

術前には使用していなかった、新しい抗ガン剤も追加してかなり副作用はきつくなりました。分子標的薬と呼ばれる薬です。これはガン細胞が持っている「特徴的な部分」に反応するよう作られた薬です。

副作用の出ない「夢の薬」と言われたこともあるようですが、実際は副作用はきつく、特に発疹、指先のひび割れなどが出ています。とくに発疹に関しては、最初の一週間はかゆすぎて、発狂しそうでした。

今現在の抗ガン剤治療では、口内炎が大量にできて全く食事ができなくなったり、味覚障害でなにを食べてもまずくて食欲がなくなったり、指先がしびれたりと色々不快な症状が出ています。

それでも、なるべく休薬期間を設けずに投与していきたいと考えています。なぜなら、この病気の再発率はかなり高く、50%の確率で2年以内に再発するので、この確率を少しでも下げるために、つらくても抗ガン剤を続けています。

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